Dr.Sato 佐藤登 Official Site

技術で未来を創る。

講演・寄稿のご依頼、お問い合わせはメールにてご連絡ください。
HOME > メディア・新聞記事 > 日経ビジネスオンライン

日経ビジネスオンライン

2019/01/10

第134回コラム 最終回

ホンダとサムスンで経験した技術経営の真髄

技術経営――日本の強み・韓国の強み

反面教師と逆境はエネルギーに変換

2019年1月10日(木)

佐藤 登

 2013年4月から本コラムを執筆し、今回が134回となった。日経ビジネスオンラインがクローズすることで今回が最終回となる。これまでのコラムを総括すべく、「技術経営の真髄」とは何かを述べてみたい。

ホンダが教えてくれた信念像
 1978年4月から26年4カ月、本田技研工業と本田技術研究所で勤務した。最初の10年間は鈴鹿製作所の生産技術の現場で、自動車の腐食制御技術開発に関わった。「ホンダが潰れる」とまで言われたほどの大錆問題解決のためのプロジェクトを任され対応した。そこで学んだことは、定説や常識に囚われないこと、そして自らの実験データからメカニズムを考察し、その原因を突き止めることで解決策を導くというプロセスの重要性であった。
 ともすれば材料メーカーの見解に耳を傾け、あたかも自分の論理のようにのたまう諸先輩の姿には納得できず、自らのデータで議論する必要性があると思えた。なぜなら、材料メーカーは自社の製品に関して不利な見解を述べないからだ。自身のデータから自説を立て実証することで、車体材料の大幅な転換を図った。それにより、ホンダ車が錆問題から解放されたのは1986年頃のこと。しかしその間には、事業部間の確執や上下関係の押し付けなど、下図に示すように数々の紆余曲折を経験した。欧米諸国のサービス部門や販売部門が市場での製品品質に対して合格の判断を出してくれた時の達成感はひとしおであった。
 この社内研究成果によって、会社の支援もあり、ホンダでは歴代4人目となる博士号を取得できた。大錆問題の解決に貢献したご褒美とも言うべき転換点が訪れた。1990年2月には次世代技術研究の舞台となっていた本田技術研究所・和光研究センターに異動させてもらった。当時のホンダの常務取締役であった吉野浩行氏(後に社長就任)が、「大きな成果をあげたのだから、ホンダのどこの部門に移っても良いから提案しなさい」との激励をいただいたことでの結果であった。
 ここで得た教訓は、自ら考え行動に移すということで、他人の意見に耳を傾けても自らその意見が正しいのかどうかを検証しなければならないということ、それを通じて事の本質が見えるということであった。
 1986年に設立された当時の和光研究センターは、既存事業ではない新事業に繋げる基礎研究開発部門であった。上図に示すように、そこからホンダジェットが30年の歳月をかけて事業化としての離陸に成功した。和光研究センターの最大のイノベーションと筆者は評価する。「やがては空を飛びたい」と発していた創業者・本田宗一郎の思いを実現するために、経営陣も技術陣も長年に亘る並々ならぬ努力によって実を結んだのである。
 ホンダジェットの特徴は、主翼上面にエンジン配置、空力的に大きな効果を得られる最適な位置と形状。そして、革新的エンジン配置、胴体のエンジン支持構造不要、広い客室と大容量の荷物室を実現した。米国で最初に発表した際には、米国航空業界からは常識外れの設計と揶揄された。しかし、その後の飛行データやメカニズムを明らかにすることで、批判していた航空業界も新たな発想を認めただけでなく、賞を授与するまでの評価を下した。ここでも、定説や常識に囚われない発想が具現化された。
 1月8日から日本経済新聞に、「Mr.ホンダジェットの執念」が連載されている。9日の記事を見て思わず笑ってしまった。エンジンを主翼の上に付けると言う提案をした開発責任者の藤野道格氏に対して、それを聞いたホンダの上司が「こんなバカなエンジニアは見たことがないな!」と罵倒したと言う。誰が発した言葉かは、数人の候補が浮かぶがイニシャル表記されていないので確信はない。いずれにしても、この上司は技術経営側にいたはずだから、ここでも先入観や定説に囚われて間違った判断をしたと言うことだ。技術経営の視点では、「常識から外れるような提案だが、ならば実証してみろ!」と言うような発言が適切だった。技術経営側に就く者は主観や先入観で判断すべきことではないことを大いに反省すべきであろう。
 この基礎研究所での筆者の新たな業務は、これまたタイミングが合ったように、異動してテーマ探索をしていた7カ月後のことだった。1990年9月に、米国カリフォルニア(CA)州大気資源局(CARB)が発したゼロエミッション自動車(ZEV)法規である。日米大手6社に課されたのは、98年から電気自動車(EV)をCA州に2%供給するという基本方針であった。
 日米自動車業界を震撼させたZEV法規の発効により、筆者がホンダでの電池研究機能を創設する役目を指示された。「錆と電池」と言う名言を発した当時の役員研究員である佐野彰一氏の影響は大きかった。
 1995年には、栃木研究所へ組織ごと移ることになって開発が加速された。98年の最初のEV(ホンダEV-Plus)に適合させる大型ニッケル水素電池の開発から実用化、その後はハイブリッド車(HV)用のニッケル水素電池開発、そしてリチウムイオン電池(LIB)の研究へと進化させる研究戦略を自ら描き、その進行を図っていたのだが事件が起きた。
 2002年を超えると、筆者が進める化学電池領域の研究開発は分が悪くなる。研究所の経営陣が化学電池の価値を低く評価したからである。そのひとりのK氏は筆者に向かって、「車載用のLIBは実現しない!」「化学電池よりも大容量キャパシタだから、佐藤さんも化学電池を捨てて、そちらへ移ったら?」とまで言われて愕然とした。筆者は、「物理電池と言えるキャパシタの原理を考えると、キャパシタこそ電動車(xEV)用の主電源としては実現されない」と反論した。
 答えが無いようなキャパシタプロジェクトへの合流は拒否しつつも、研究資金も人員もキャパシタ側に持っていかれた身分としては、悶々とする日々を過ごすことに。しかし、信念だけは曲げなかった。「いずれ車載用LIBは実用化に至る。キャパシタこそ実現には至らない」と。
 果たして、それから20年近くが経過した。今や、全世界でLIBの開発から実用化が活発に進められている。LIBの実現がなければ、昨今のxEVの実用化には至っていない。技術経営としての判断は、必ずや論理に基づいた判断をしなければ大きな過ちを犯すという典型的な事例である。
 2004年初頭に、韓国サムスンSDIからスカウトの話が来た。国際会議での発信や論文発表、講演などをしていた関係でサムスンがアプローチして来たのである。サムスンの考え方はホンダとは真逆で、車載用LIBの実現に向けて大きく舵を切った時点である。即断はせず、3カ月ほどかけて利害得失を入念に勘案した結果、04年4月にホンダを去る決断をして7月に退社。9月にサムスンSDIに常務として移籍、渡韓し、サムスンの城下町へ赴任した。
 2002年に燃料電池車(FCV)用途に一旦事業化の道筋を付けたかのようなホンダのキャパシタ事業であったが、その後、絶対容量の不足からFCVの商品性を低下させることが露呈し、06年にキャパシタ事業は失敗と言う判断にて断念することに追い込まれたのである(上図)。「技術は嘘をつかない」「論理が伴わない技術は成功しない」と言う教訓だ。

サムスンへの移籍と技術経営  
 今でこそ、日韓の政治外交はギクシャクした関係が続いている。慰安婦問題、徴用工問題、海上自衛隊哨戒機への射撃用レーダー照射問題と、近年にないほどの悪化した関係下にあるのは事実だ。筆者がサムスンに移籍した2004年といえば、直前の韓国ドラマ「冬のソナタ」の大ヒットにより、韓流ブームが押し寄せた絶頂期であった。この効果も手伝って、政治外交も温和なムードと化していたので、現在とは好対照的だった。
 サムスンに移籍してからは、当然、文化や考え方も異なり、戸惑う部分も少なからずあったものの、儒教の縛りがない筆者にとっては自分流の仕事術がある程度可能であった。振り返れば、ホンダからサムスンの移籍が筆者の仕事術、とりわけ技術経営のあるべき姿を追求する意思が強くなったようだ。
 サムスンでは経営側に携わったことで、最初の5年間は中央研究所で研究戦略と研究テーマの運営と判断を業務の中心としていた。ここでは、ホンダで経験した反面教師の存在を参考にしつつ、自身は決してそうならないように務めたのである。
 モバイル用LIBの新技術開発、車載用LIBのプロモーションのための全世界の自動車各社との協議、アウトプットが期待されない、あるいは出口が見えないプロジェクトの中止判断、新ビジネスモデルを構築するためのプロジェクトの起案等に着手。韓国人役員との激しい論議も厭わず実行してきたことが、それなりの成果に繋げたと言えよう。
 6年目となった2009年9月には、本社経営戦略部門に異動となると共に、東京へ逆駐在となり日系顧客とのビジネスアライアンスに心血を注いだ。技術経営と経営戦略は不可分の関係だ。両輪として機能させることが価値を最大にする。

ホンダとサムスンの経験を活かして
 2012年12月31日付けでサムスンを退社したので、6年前になる。相前後し、御縁をいただいてエスペックの上席顧問、名古屋大学未来社会創造機構の客員教授の任にあたっている。名古屋大学の当センターが発足することが決定された時期に、プロパーの教授としてお誘いを受けたのだが、サムスンで仕掛けていた大きな業務を中断させることは無責任になると考え、客員教授としてお手伝いすることを逆提案した。
 もっとも、6年前の2013年1月には、電池業界再編のためのプロジェクト(産業革新機構がオーガナイズするLibertyプロジェクト)への検討委員として委嘱を受け、新会社設立に向けたシナリオ創りに参加した。電池業界の勝ち組であるサムスンでの経験を評価されての委嘱であった。13年中盤になって新会社の全骨格を創り上げたものの、13年末にソニーがそのプロジェクトから離脱したことで、当プロジェクトは空中分解に終わった。
 エスペックは環境試験機器業界の大手で、国内シェアは60%、グローバルでは30%のシェアを誇る。企業規模ではホンダやサムスンに比べると小ぶりだが、ビジネスモデルとしては自動車業界、半導体業界、電池業界、電機業界を中心に大いに貢献していると言えよう。
 昨今の自動車のパラダイムシフトは、正に電動化と自動運転が両輪で最大の開発テーマとして展開されている。自動車業界としては、真に生き残りをかけると言っても良いほどの大きな命題となっている。
 自動車の電動化開発をサポートする機能としては、恒温恒湿槽や充放電テスター機器の開発は元より、車載用電池に対して、自動車業界や電池業界等から試験評価を受託するビジネスモデルを2013年に構築。更には、16年から義務付けられた国連規則ECE R-100 Part.IIによる電池安全性評価試験(電池圧壊試験など9項目)の認証取得ビジネスを構築し、「バッテリー安全認証センター」として運営にあたっている。
 また、国や地域によって求められる製品仕様や機能は異なるので、そのニーズにマッチする製品戦略が重要だ。エスペックが得意としてきたハイスペック仕様は、日米欧市場での評価は高いが、製品の低価格を要望する中国や韓国市場では異なるビジネスモデルが必要とされてきた。その結果、充放電テスターの低コスト仕様の開発も2018年には実現され、中国市場を中心に攻略しつつある。
 こうした一連の事業化は、新ビジネスモデルとしてタイミングよく早期に実現できたものであるが、それ以上に、各業界の開発効率を最大限引き出すことに貢献していることでの意義が極めて大きい。
 一方、自動運転はまったなしのビジネスとして、自動車業界やソフト企業がビジネスチャンスとして、そして同時に生き残り策として血眼になって開発に取り組んでいる。欧米勢の自動車各社の進展状況と比較すると、日系勢のスピード感は今一歩の感が否めない。この分野でも各業界に貢献すべく、当社の開発機能を向上させるための方向付けを行っている。
 自動運転のレベル4と5ではドライバーが介在しない領域となるが、その分、信頼性の構築は従来までにない以上の難度となる。現状、既存の自動車に搭載されているセンサーでも、降雪地帯ではセンサーが機能しないという自動車のクレームも起きていると言う。ましてや、自動運転においてはセンサー機能の不具合は致命的になる。
 完全自動運転では想定外と言う表現は通用しない。そのためには、あらゆる諸条件に対しても適合できるシステムの機能が求められる。当社ではそういう外部状況を想定した環境評価システムの構築を加速させている。雪、吹雪、霧などは当然ながら、雪質によっても自動車に及ぼす影響に差が生じる。こうした木目細かな環境モードも勘案して、技術課題を早期に抽出し、解決できる機能を提供することが当社の使命であり、各業界への貢献と考えている。
 当社の経営戦略と技術経営は、スムーズな両輪の駆動力として、ほぼほぼ機能しているように映る。その要因は、経営側と実務側の密なコミュニケーションにより、考え方のギャップを極力小さくしていること、経営側からの一方的な押し付けではない戦略立案、顧客のニーズを把握して顧客満足を得るためのビジネスモデル創りなどが功を奏している。

技術経営としての真髄 
(1)経営側と実務側との信頼関係が基本となる。そのためには、都合の悪いことも表舞台に出して、その解決を双方の立場で考え方向付けることが必要だ。不都合な真実をさらけ出さないことで、後に事業が悪化し事業撤退に追い込まれたサムスンの事例を結構見てきた。日系企業でも、データ改ざんや法令遵守に違反するスキャンダラスな事件も昨今の大きなニュースとして採り上げられている。いずれにしても不都合であればあるほど、表舞台での解決策や戦術を議論できる環境創りが経営側に求められている。

(2)経営戦略が明確で、それに基づく技術戦略の筋道が通っていることが必要である。さらにそこにリンクする戦術に論理的飛躍がないこと、主観的判断のみではなく客観性が担保されていること、実現された時の価値の評価がなされていることが前提となる。

(3)実務レベルの遣り甲斐や達成感を引き出すためのマインドやモチベーションを高める施策が効果的である。成果に応じた報酬の配分、会社の業績に貢献した分に対する対価の補償にも合理性が必要だ。負の連鎖は企業にとって大きな損失につながる。正の連鎖によって、更なる上昇気流を創ることが企業の発展に大きなエネルギーとなるはずだ。結局は人材に帰する。人材を大切にする企業経営が、持続可能で発展する企業を形作っていくものと考える。

謝辞

 2013年から約6年にわたって、本コラムの場を提供いただいた日経BP社に感謝申し上げます。そして、御愛読いただいた皆様方には賛否両論の御意見もいただき、本当にありがとうございました。






ページトップへ